【原文】
今年回東京的因緣就只能是短暫的五天呀。和老友敘敘,和房東老爸聊聊用餐,看到每個人都是努力不懈活出精彩的自己也令人安心替她們歡喜。此次還承蒙吉水岳彥法師的因緣,讓我參與了他們的街友關懷活動。和吉水法師結緣是在於他蒞臨台灣進行台灣四大教團於社會福祉上起承轉合的論文問卷調查。有幸協助關於佛光山的區塊。透過法師的一些論文集,著作而得知他秉持著佛陀教法慈悲為懷的面對每一位受苦受難眾生,無論是哪一位他都是無分別心無條件的盡最大的心力協助他們。令人感受到他的用心。這次透過他的安排,我因緣際會剛好加入他們週一的義工活動,他們每個月有兩到三次於東京都淺草附近的清川這個地區吉水法師的光照院進行飯糰製作及定點發放。下午陸續有義工來到光照院內,大家條理分明的負責自己擔任的工作,由於我是新人,所以也得到大家細心指導,一團和樂的氛圍中完全沒有違和感,大家如同一家人互相尊重配合,不時傳來大家爽朗的笑聲。在這裡完全沒有因為國籍不同被排斥的感覺,所以有越南人,台灣人,在台灣或是中國學習過中文的日本人。不分宗教老少都有,大家共同成就一件有意義的事,真是無比歡喜。下午將數百個飯糰製作完畢後,檢查生活用品,醫藥的種類確認而後是大約20分鐘的誦經法會及說法開示,讓每位義工收攝身心而後前往各自的發放地區。承蒙吉水法師的關照將我列入同一組,前往到上野公園內。只見他熟練的扛上所有物資,並且教導我們必須用什麼心態及姿態面對這些路上生活者,如何關懷他們如何和他們談話,及分享他的經驗。而後開始進行我人生第一次的街友關懷。並且是在東京。之前在這裡就學時一直不解為何一個社會福利完好的經濟大國,怎麼有那麼多街友呢?透過法師的說明解釋了解到日本人的這種檯面下不為人知的文化。法師每到一處就主動關懷每一位,如此冷冽的天氣是否有身體不適或是需要什麼協助或是需要什麼生活用品,,,。這些人對於法師就如同自己熟識多年的朋友,可以和他沒有任何隔閡的談天說地,甚至於在那麼廣大的上野公園內他熟知誰住在哪裡,誰在哪顆樹下,誰落腳哪個長板凳上,我由衷佩服法師他那如同大海般寬廣深沉的慈悲。而且還為我們說明上野公園的前身,為何成為公園,來龍去脈非常詳細,我又上了一課。以往印象中的街友全身發臭髒亂不堪,孤獨的活在自己的世界裡令人畏懼不已。但是,透過這次寶貴的經驗,他們收到物資都會不斷感謝法師及大家的協助沒有一個人是呈現出憤怒無奈的感覺。我似乎對於人性尊嚴上有多了一層體會。感謝辛勞的吉水法師。希望他能法體康泰,常轉法輪。直至成佛。大家一起加油。

【日本語訳】
今年、東京へ戻るご縁はたったの五日間だった。

友達や学生時代の大家さんとおしゃべりしたりお食事したり、みんなそれぞれが努力を惜しまず自分の人生をしっかり生き、人に安心感を与えていることがとても喜ばしかった。

そして今回は吉水岳彦法師とのご縁により、法師らの行うホームレスの支援活動に参加させていただいた。法師とのご縁は、論文のために訪台されて四大仏教団体における社会福祉調査がきっかけとなり、私はそのうちの佛光山のお手伝いをさせていただいた。

論文や著作を通して、法師が仏陀の教えである慈悲を貫き、苦難を受けている衆生に向き合っていることを知った。どの人に対しても分け隔てることなく最善を尽くして相手に救済の手をさしのべる法師の細やかな心を感じていた。

今回は法師のおかげで因縁が熟し、月曜日のボランティア活動に参加させていただいた。彼らは一月2~3回、東京浅草の山谷にある吉水法師の光照院においておにぎりを作り配りにいく。午後になるとボランティアが光照院に次々に集まり、事前に分担している自分の作業に取り組む。

私は新人なので皆さんの細やかなご指導を受け、和やかな雰囲気の中でまったく違和感を感じることなく、一つの家族のようにお互いを尊重し合って協力した。時には軽やかな笑い声も聞こえた。ここには国籍が異なるからと排斥されることもない。ベトナム人、台湾人、台湾や中国で中国語を学んだ日本人。宗教の区別もなく、若者、年配者もみんなが協力しあって有意義な事を行っていることに、私はこの上ない喜びを感じた。

午後、数百のおにぎりができあがると、生活用品、医療品をチェックし、約20分のお経の読誦と法話がおこなわれた。こうして心身を引き締めたボランティアはそれぞれ担当する地区に赴く。私は吉水法師のご配慮で法師と同じグループに入り上野公園へと向かった。

法師は熟練した様子ですべての物資を肩にかつぎ、私たちには、どのような気持ち及び態度でホームレスに向き合うべきなのか、どのように話をしてケアをおこなうべきなのかを教えてくれ、自分自身の体験談も分かち合われた。

その後、私の人生初の路上生活者ケアが始まった。しかも場所は東京。学生時代のころは、このような社会福祉の完全な経済大国になぜホームレスがいるのかという問題が解せなかった。

法師の説明により日本人というステージの下には人には知られない文化があることが理解された。法師は一箇所にいくと積極的に彼ら一人ひとりに心をかけて、

「こんな寒さの中で身体は大丈夫ですか」
「何か困ったことはありませんか」
「必要な生活用品はありませんか」

などと尋ねられた。

知り合って長い時間のたつ親しい友人のように、法師は彼らと分け隔てなく語り合い、こんなに広大な上野公園の中でも、誰がどこに住んでいるのか、誰がどの樹の下に住んでいるのか、誰がどのベンチにいるのかも熟知していた。私は心から、大海のように広く深い慈悲にあふれた法師に敬服した。

また法師は、上野公園の前身や、どうやって公園ができあがったのかなどの経緯を詳しく説明してくれた。私はこうして、もう一つの授業を受けたのだ。

以前心に描いていたホームレスは全身が臭くてどうしようもなく汚く、孤独にも自分の世界の中で生きていて人に恐怖感を感じさせる存在だと思っていた。

だが、今回の貴重な体験から分かったことだが、彼らは物資を受け取ると、法師やボランティアに感謝をしつづけ、誰ひとりとして怒りや投げやりな感じを与える人はいなかった。ここから私は、人の尊厳という点についてより多く感じ取ることができた。

吉水法師の辛苦に感謝するとともに、佛の境地にいたるまで、法体康泰、常転法輪(佛法を伝えるお体が健康で、常に法を説いてくださること)をお祈り申し上げます。みなさん、一緒に頑張りましょう!
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12月17日、2018年最後の夜回りを終えました。

今年一年、ボランティアの皆様のお力を借り、おにぎりをひとつひとつ握り、一人ひとりに配ることができました。

皆様の温かなお気持ちに、感謝の気持ちでいっぱいです。

今夜も猫と一緒に生活しているおばあさんに会いました。
いつも同じ場所にいて、私たちを笑顔で迎えてくれる方です。
ところが、今夜は少し曇った表情でした。

「飼ってたネコちゃんが死んじゃったの」

と力なくおっしゃいました。

路上で生活されている方は、犬や猫と一緒に生活している方も少なくありません。
その犬や猫も行き場なく、たまたま路上で出会ったおじさんおばさんに可愛がられて、いつしか一緒に生活をしている。
そんな話を耳にします。
犬や猫が一緒にいるから、アパートに入らない(※)。
そんなことも耳にします。
それはもはやペットではなく、家族です。

その大切な家族の死は、おばあさんにとっても大変つらいものだったでしょう。
一緒に回った仲間とともに、手向けられた花の前でお十念を申しました。

冬の路上はとても寒いのです。
あらゆる命がこの冬を越せるよう願うばかりです。

ささやかではありますが、来年もこの活動を続けてまいります。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

※東京都内で単身世帯として生活保護を受けた場合、住宅扶助として支給されるのは5万3,700円。この範囲で、ペット可の物件を探すのは至難の業です。多くの場合は、犬や猫とともに路上で生きるか、犬や猫と別れてアパートを探すか、厳しい二択を迫られます。
※本日は201回目のひとさじの会の活動でした。

今回、高瀬先生の講義で興味を持ち、このボランティアに参加させていただきました。

最初は緊張していたのですが、皆様が笑顔で温かく迎えてくれ、準備を進めていくうちに緊張も次第にほぐれていきました。

そして、ボランティアが始まりおにぎりを配りに。

それまでは普段関わりのない人達だったので怖い印象があったのですが、実際にボランティアを通して関わり些細な会話ではありましたが、路上生活者の方々は様々な理由で路上で生活をしており、生活する場が違うだけでそれ以外は私達となんら変わらなく、あるいは私達よりも何倍も強く日々を生き抜く生命力があると、感じました。

また、このボランティアをなぜしているのか?という理由に関しても何人からか話をお伺いしました。

元路上生活者であり、この活動に救われて自分も何かできることがあるならしたい。という方や、私と同じ年代の人がちょうど今、路上生活をしていると思うと何か放って置けない、このような活動があったので参加した。

私達がボランティアに参加する理由は様々ですが、自分に何かできることがあるなら、という思いが集まりこのようなボランティアがあることが私の心にはとても響きました。

普段は話さない方々にお話をお聞きでき、ボランティアを通して様々な人々の想いを知り、とてもいい経験になりました。

ぜひ、機会があればまた参加したいと思います。
※本日は201回目のひとさじの会の活動でした。

10年くらい前にインドのカルカッタに行ったことがあります。その時に路上で物乞いをする片手片足のない方にお会いしました。その方は瀕死の状態に見えました。

お会いしたといっても、怖くて近くには行くことができませんでした。でも何かできることはないのだろうか、と立ち竦んでいましたところ、一人の日本人のシスターに出会いました。

シスターに「わたしは何もすることができません。でも彼を救うことはできないのでしょうか」とお話ししたところ、「人をみんな救うという考えはおこがましい」と言われました。でも祈ることはできます、と教えられ一緒に祈りました。

それでも気がかりで次の日も同じ場所に行くとその方はおられませんでした。ボランティアの方が手当てをされたようでした。

この出来事を私は時々思い出します。

今回、ボランティアに参加することができて、またこの出来事を思い出しました。自分の身体を使って、誰かのために今できることをする人たちがおられます。

ひとさじの会の代表でおられます吉水さんと一緒におにぎりを配らせていただきました。

おにぎりをすべて配り、おにぎりがなくなったのですが、まだ路上生活者の方が数人いらっしゃるという状況で躊躇することなく吉水さんはすぐに走っておにぎりを買いに行かれました。

迷いのないそのお姿にどうしてこのようなことができるのだろうか、と思いました。わたしも走っていける人間になりたいと思いました。

以前祈ったわたしは心残りだったのです。できることならば、行動できる自分でいたい、という思いがどこかにあったのだと思います。

祈りももちろん大切な行為です。相手のために祈ること。そして相手のために行動できる自分でいられますように、と祈りたいとも思いました。

ボランティアが終わった後、なぜか気持ちが清々しくみなさまの笑顔に出会えて満たされた気持ちになりました。このような気持ちになってよいものかと迷いましたが、いいのです、と教えていただきました。

大変な毎日を過ごされている方がたくさんおられます。未熟な私はいつも誰かから教わることばかりです。

「ありがとう」と言われることに救われているのは私自身でした。「ありがとう」と言ってくだったこと、これまでの会の活動の積み重ねの賜物だと思います。

ボランティアに参加させていただき、本当にありがとうございました。
※本日は201回目のひとさじの会の活動でした。

ひとさじの会に参加させていただいて、ありがとうございました。

初対面にもかかわらず皆さんが笑顔で迎えてくださり、新しいお仲間ができたようで、私は世界がまたひとつ広がりました。

ボランティアの皆さんの、おにぎりを握り、お配りするお薬や下着の確認をする際の、手慣れた無駄のない行動にとても感心いたしました。

そして吉水先生の「元路上生活者だったボランティアのおじいさん」のお話が何より心に沁みました。

ひとさじの会の活動を通して、お寺というこの空間が皆さんの心の依り処になっていることを肌で感じながら、一緒にお念仏をお唱えさせていただきました。

何より私自身が居心地が良くて、初めてお邪魔したことを忘れてしまいました。

隅田川の岸辺でおにぎりを差し上げながら、「おじさん」とお話ししたのもただ純粋に楽しかったです。

「また次、2週間後に会いに来ますね~、おやすみなさい。」の挨拶は、ささやかな再会の約束ですね。

顔馴染みになられたボランティアの方にまじって、私も親しげにお話しさせてもらえて嬉しかったです。

地道な活動があってこそ、信頼関係ができているのだと思います。

私にとって色々と学びの多い活動ですが、遠くからボランティアに参加される方もいらっしゃるようで、活動を続けていくことの難しさを感じました。

と同時に、こつこつと10年も続けてこられた吉水先生はじめ、皆さんのご苦労がいかばかりかと頭が下がります。

あまりお役には立てませんが、私にとっては仏様にいただいた貴重なご縁ですので、時間の都合がつく限りこれからも参加させて頂きたいと思います。

ボランティアの皆様、ありがとうございました。