※今回は181回目のひとさじの会の活動でした。

私は今回初めて、ひとさじの会の活動に参加させて頂きました。

私は今までひとさじの会に限らず、このような活動に参加したことがありませんでした。そのため、自分にとってホームレスの方々は「自分の生活に関係のない人々」にすぎませんでした。

さらに私はホームレスの人々に対し、「社会に適合できていない人々」というネガティブなイメージも抱いていました。そのような人々は自己管理能力がなく不愛想なために、社会できちんとした仕事に就くことができていないのだと思っていたのです。

しかし今回の活動に参加したことで、私は自分の持っていたイメージが単なる偏見にすぎないということに気がつきました。

実際に配食に伺うと、ホームレスの方々はたとえ就寝中であってもわざわざ体を起こし、私の目を見て「ありがとう」と言ってくださいました。なかには「仲間内でひとさじの会の話をしていて、楽しみにしていた」と言ってくださる方もいらっしゃいました。

私はてっきり、ホームレスの方々が非常に不愛想におにぎりを受け取ったり、あるいは受け取るのを断ったりするのではないかと思っていたのですが、実際の様子はその真逆だったのです。

しかもホームレスの方々の中には、「過去に他団体の配食のボランティアに参加したことがある」とお話してくださった方もいらっしゃいました。

かつてホームレスの方々に寄り添っていた人が今はホームレスとして野ざらしの生活を強いられているという現状に、私は複雑な思いを抱かずにはいられませんでした。

今回私は、隅田川の台東区側の岸を歩き、炊き出し場所の光照院周辺から吾妻橋のたもとまで配食を行いました。その際に出会ったホームレスの方々はどの方も皆いい人ばかりで、私は偏見を持っていた自分自身を恥ずかしく思いました。

ホームレスの方々の事情は様々であり、半ば強制的にホームレスになってしまった方もいればそうでない方もいらっしゃいます。そのためホームレスの方々の生活を改善していくことに対し、配食という一つの手立てだけでは不十分と言わざるを得ないのかもしれません。

しかしホームレスの方々がどのような生活改善を望んでおられるとしても、一つのおにぎりと小さな声掛けがその第一歩になることは間違いないと思いました。

東京の発展の象徴たるスカイツリーの影で、明日の食べ物にも困っている方がいらっしゃるという事実に、私は深く考えさせられました。日本全体がこの現状と向き合うことは、急務であると思います。
※今回は178回目のひとさじの会の活動でした。

自分は2回目の活動の参加でした。

自分は田舎の育ちで自分の身の回りにホームレスの人はほとんどおらず、 大学に入学するため東京に来るまでは路上生活をしている人というのをほとんど見たことがありませんでした。

そのため東京の駅の周りにたくさんいる路上生活者の方々を見たとき、「汚い」「近づいたら何かされるのでは無いか」ということを思った記憶があります。

それと同時に、家を失い路上で生活しなければならないホームレスの人たちというのは、相当怠惰で不真面目な人生を送っていたのだろうと勝手な想像をしていました。

しかしひとさじの会の活動に参加することで、自分のその認識は偏見にすぎないということに気づきました。

大学の授業で吉水先生の講義をお聞きする機会があり、そこでひとさじの会の活動について知りました。それがひとさじの会の活動に参加するきっかけです。

炊き出しをしておにぎりなどをのホームレスのおじさん達に直接手渡しで配るということに、初めは自分の中では少し抵抗がありました。

しかし直接おじさん達におにぎりを渡すと、「ありがとう。いつも助かるよ」と笑顔で受け答えをしてくださるのです。

ある人は、自分が学生のお坊さんであるとわかると「勉強とか修行大変だろ?頑張ってね」と励ましてくださいました。

中でも一番自分が驚いたのは、上野公園での出来事です。

おじさん達におにぎりと一緒に薬や衣類を必要に応じて渡すことがあるのですが、あるおじさんが胃薬が欲しいとおっしゃったので、二回分の胃薬を渡しました。

するとそのおじさんは、「俺は一つでいいからほかの奴にも分けてやってくれ」とおっしゃいました。

他にも、おじさんにおにぎりを渡すと、「向こうにもいるから渡してやってくれ」と、他の路上生活をしている人に対して気遣いをする方がとても多いのです。

自分がもしおじさん達のように路上生活をしなければならないような経済状態に陥れば、自分のことで精一杯でとても他の人に対する気遣いなどできないのではないのかなと思います。

吉水先生のお話を聞き、実際に路上生活をするおじさん達と直接コミュニケーションをとると、ホームレスをしている人達は真面目でとても良い人が多いのだなと思います。

事情があり家を失ってしまったり、障害を抱えていたりと様々な事情を抱え路上生活を強いられているのだなと感じます。

自分は路上生活者に対して物的支援だけでなく、仏教者として精神的な支援もできるようになるよう頑張りたいと思います。
※今回は177回目のひとさじの会の活動でした。

私が参加した夜は、穏やかで、暑くもなく、霧にてっぺんを隠したスカイツリーとそこにかかる橋の光が川面に静かに流れていました。

午後10時過ぎ。それぞれの場所でおにぎりを配り終えて駒形橋のたもとで集合、報告し合い、祈りのうちにひとさじの会の活動を終えました。

周りは夜間工事の人たち、晩の10時過ぎなのに行きかう人々と車の流れ。この騒然とした現実世界に戻って、いかにその前の2時間が静かなひと時であったかに改めて気づかされました。

おじさんたちとの2時間は、緩やかで、生活も心も外界の雑音に侵されていないように見えました(昼間はきっとほかの顔を持っておられるのでしょうけれど…)。

私が過ごしている日常は時間に追われ常にあわただしいものなのに、それと比べると大違いです。でも、そう感じるのは環境のためなのか、もしかしたら私自身の心持ちがそうなのかもしれません。ふと、そんなことを考えさせられました。

活動中、 “ホームレス生活の新人”のおじさんに会いました。声をかけ、おにぎり・春巻き・お茶をお渡しし、お話を聞かせていただきました。ここにきて1か月ほどということ、その地域にも詳しくなくどうして行こうか不安であまり眠れないと言っていました。とても不安だったと思います。

もし、私がそのおじさんだったら、このおにぎりは本当にありがたく感じるのではないかと思います。さらに、一人の人として言葉をかけてもらえ、自身の不安を言葉にすることができ、それを聞いてもらえたなら、張り詰めていた心もちょっとほどけるのではないかと。もしかしたら、その機会を頂けたことに感謝し、泣いていたかもしれません。あのおじさんが、次の一歩を踏み出すこころとからだの元気を得ていてくださるといいなと心から祈ります。

今回参加させていただいて、驚いたことのひとつに活動に参加していた人たちの年齢があります。皆さん若いのです。とっても頼もしくうれしい気分でした。

「夜遅く若者が外でたむろって…」と今までの私なら冷たい目をして眺めていたかもしれません。でも、夜更けることも厭わず集っているこんな素敵なグループがあるのだ、と初めて知ることができました。

いろいろな社会の在り方、見かた、接し方をたくさん教えて頂いた大事なひと時をありがとうございました。
※今回は176回目のひとさじの会の活動でした。

先日、活動に参加させて頂きました。

子供のころ、私の学校の通学路に路上生活者の方がいました。その人は髪がぼさぼさで、いつも同じ服を着ていて、皆が皆、道行く人はその人のことを避けて歩いていました。子供だったこともあり、私自身、路上生活者の方を怖く、不気味な存在と思っておりました。

この「ひとさじの会」の活動を知ったのは今から二年前、大正大学に入学して浄土宗僧侶への第一歩を歩み始めた頃に受けた授業でした。その当時は授業の一環として「こんなことをしている方もいるんだ」と思った程度でした。

ですが浄土宗僧侶の行をしていく中で、自分に一体何が出来るのだろうかと考えるようになり、少しでも色々なことをしていきたいと思ったのが、この活動に参加させていただいたきっかけです。

私の路上生活者のイメージは、冒頭に述べたように、髪がぼさぼさ、いつも同じ服を着ていて、一般の方はその人のことを避けている、というマイナスなイメージが強く、実際に路上生活者の方と相対した時、果たして自分は普段通りの態度で路上生活者の方と接することができるか、とても不安でした。

実際におにぎりを配るときに、最初にお会いした方は少し怖そうな方で、お渡しするのは少なからず緊張しました。自分のような若造がして何か言われるのではないか、などなどネガティブなイメージがわき上がってきました。

しかし実際に「こんばんは」とお声をかけて話しかけてみると、そんなことはなく一般の方と同じように会話出来ました。お昼に参加者皆で作ったおにぎりをお渡しすると、快く受け取って頂けました。またおにぎりをお渡しした時、少し話もさせて頂けました。勿論、そこまで深く話させて頂けた訳ではありませんが、とてもよい経験で、ああ自分でも少しは出来ることがあるのかもしれないと感じられました。

何故路上生活者になってしまうのか、本人には聞けないことであるし、私が何か特別なことが出来るわけではありません。ただ私にできる事は、それが自己満足かもしれないけれども、この活動を通じ、路上生活者の方々にわずかでも支援をしていくことだと感じました。また同時に路上生活者の方々に少しでも寄り添って話を聞けるようになっていきたいと考えました。
※今回は175回目のひとさじの会の活動でした。

私の住んでいる地域には路上生活をしている方は、私が知る限りではいません。しかし、このひとさじの会という活動を通して、思ったよりもたくさんの人が路上生活をしていることを知りました。

私は準備段階まで参加して、台風のために帰宅してしまったのですが、そこで準備したお米の量を見て、「こんな量のお米研いだことがない」という驚きから、それだけこのおにぎりを待っている人たちがいるんだということに気づかされました。

そしてその場に集っていた人たちは宗教や国境を越えていたことにも驚きを覚えました。誰かのためになりたい、ありがとうと言ってもらいたい、おなか一杯になってほしいという気持ちのもとにこれだけの人々が賛同し、集っているということがなぜもっと大きく広がり、話題にならないのか、と単純に疑問にも思いました。

一緒に参加していた仲間たちから、私が帰宅した後の話も聞きましたが、やはり自分が作ったものが実際に相手の方々にわたっていくことを見たり、そして実際に直接触れ合うことはとても楽しく、良い経験だったと話してくれました。

私もどこかの機会でまたこの活動に参加し、私の手で直接おにぎりを渡すことができたらな、と思います。