※今回は163回目のひとさじの会の活動でした。


今回初めて参加させて頂きました。

30を過ぎた頃から、大事な人の死や、自分は一生この仕事で働くのか、
という不安感があり、宗教関係の本を読むようになりました。

禅宗や、プチ修行もしました。
その一環で本によって知った。ひとさじの会に参加しました。
その前に念仏会に参加し、それが心地よく。

これからも、細く長く付き合っていけたら幸いです。
※今回は157回目のひとさじの会の活動でした。

寒さが膚にしみてくる11月7日、「ひとさじの会」にはじめて参加させてもらいました。住居のある藤沢を1時すぎに出発して、3時ごろ緊張しながら台東区清川の光照院に到着しましたが、事務局長の吉水さんに歓迎していただき、その物ごしと笑みのやさしさにふっと安心しました。

ベトナム仏教会の方々も老若男女、3時すぎにたくさん集まっていました。仕事で日本にきている人が多く、向こうは片言の日本語をしゃべりながら、日本とベトナムの文化の違い、食物の違いなどを、たがいに好奇心に任せ、たずねあいました。

女性の方は、楽しそうにおしゃべりをしながら路上の人らのためにベトナムの春巻を油であげたり、ボランティアできた私たちにもハーブ入りの本格的なベトナム麺をこしらえてくれました。 

路上で寝起きしてお腹を空かせている人たちのためにすこしでもなにかしたいと時間を割き、近くから、また遠方からこの寺にあつまったひとらと、心をいれて握りめしをつくり、そうして作業に集中しながら、「どこからきたんですか?」などと照れながら聞きあったり、またまじめな話をしたり、その場は、なにかよきものが確かに生きている場所でした。 

瞬く間に時刻は午後7時すぎ、おにぎり250個をみなで握りおわって、医療品もバッグにつめ終って、少し休憩をして、7時半すぎに食物と医薬品を、分かれた数チームがそれをもって、浅草寺周辺の商店街、墨田川沿い、上野駅周辺を歩きはじめます。風もあり、さらに寒くなった夜でした。

私は浅草のチームに入りました。

商店街では間隔をおいて、50代後半から70代の人たちが、間隔をおいて敷き布団やダンボールを地面にのべ、ふとんや寝袋を身体にかけて横たわったり、あぐらをかいたりしていました。

と、その一つの場所に20代の若者が、どこかおびえてコンクリ-トの路上で、だれともつながらず、かえるばしょもなく、たよりなくうつむいていました。みかけはそのへんを歩いている若いひととかわりありません。 

そばに座って私は、「オニギリいりますか?」
「はい」と彼は小さな声でいいました。
手渡すと、「どうもありがとう」とまた小さな声。

「…おれらとりあえず、ツレになりましょう」 
と勇気をもっていえば、もしかしたら何かが、私じしんが、また彼じしんの何かがかわるかもしれないと感じました、このあとここに共にしゃがみこんでサケでも飲んで話をかわせば、いろんなことが…すこしだけつながり、かわっていくかもしれません…

だが、若者はおびえた顔で一人になりたがって、私も気をつかって、弱気にそこをしずかに立ちさりました。

閉店した信用金庫のあがり段の上、そのスペースで、全身をすっぽり布団で覆いつくし、「オニギリです」と声かけてもまるでぴくりとも動かないひとがいました。

息をしているのかと心配で、ベトナムの若者とともに顔をよせると、胸が動いていて安堵の顔を見交わす。自己の生をとざし果てたようにそのひとは眠りつづけ、なんともたちさりがたい気もちがやってきます。 

『人はだれもがしあわせを求めて生き、苦をもとめる人などいない』
仏の伝える声が胸にはっきりきこえるようでした。

自分たちの小チームの中に、その男の子にくわえて彼の彼女らしいベトナム人女性がいたのですが、二人がこの離れた国において、路上で過ごす人らに腰を低くおろして声をかけて、春巻やおにぎりを渡す姿にも普通に見えて尋常ならぬ澄んだものを見たようでした。

あるきっかけで困窮の日々に入った人を忌避せず、自分の時間を少しだけ犠牲にして少しだけ助ける、それは多少疲れても、まともな人と人とがまともに関わりあう社会のためにとても必要なこと。

だけど、多くの大人たちが、人と関わらないたくさんの理由をこさえて冷淡に、疲れうなだれた人らの前を、若者の前を通りすぎて行く、誰かのために何かしたい別の若者らも、その大人を見慣れて、やがて「何もしないほうがいい」とその表情の無い仮面の列に加わっていく。

ひとさじの会の存在は、そんな世の流れにまかせず、「そんなこと別にもういいや…」と屈しそうな人らの心を、あとおししてくれて、誰かとかかわることをごく自然に体験させてくれる気がします。 

夜10時過ぎ、少し足もくたびれておにぎり等を配り終えた各チームが、橋のたもとで合流しました。「何があったか、どういう方がいたか」「風邪薬を求める人が今回多くいた」などなどチームごとに報告しあって散会。

また、この場に参加したいとおもいました。

最後に志をもって、「ひとさじの会」を長くやってらっしゃるお坊さんのことを書かせてください。 

事務局長の吉水さん、若いかたですが、自分の時間を捧げ、日本のこの今における仏の慈悲の実践をし、またそれをたくさんの人に伝える日々をおくってらっしゃいます。吉水さんのやさしく輝く気配をみれば、僧侶の本来のありかたを感じられると思います。でも非常にきさくなかたです。

私がともに夜回り配食させていただいた吉水さんの同窓の金田さんも、初めてこられて、日本人の間にあって、少し不安そうなベトナム人のカップルに、お坊さんの枠をやすやす超えたユーモラスな様子で話かけ、彼らはすぐになごみ、とけこんでいました。

そのベトナム人のカップルらと私たちのグループが浅草駅界隈の夜回りほぼ終えて、浅草寺の雷門の前に差しかかった時のことです。若いカップルら、思わず嬉しくなって、「浅草のシンボルの大提灯の前で記念撮影したい」とはしゃいだ時も、金田さんは、「撮影しようか」と、彼らのスマホをと自らの手に「かして」と取りました。

と、てっきり仲良く並びポーズとる恋人らを撮影するかと思いきや、まず自分の坊主頭の顔を真剣にバチッと思いきり自撮り、カップルの笑いがどッと弾け、それから金田さんは笑みながら、カップルの日本での大事な想い出の刹那をカシャカシャ撮影していました。他の初参加の日本の大学生にも同じくたのしそうな様子で話かけていました。

意識しているのかしてないのかわからない、そのさりげない、誰かを友人のように見やってやまぬふるまいを自分もできるようになりたいと、帰りの東海道線の車中でずっと想っていました。
※今回は156回目のひとさじの会の活動でした。

浅草駅に着いた時は、実際にホームレスの方を目の当たりにしたら恐い、汚いと感じてしまうんじゃないかと思って自分が今日の終わりにどんな感想を抱くのか不安で緊張しました。

集まっていた人たちはお坊さんやボランティアの方で皆さんとてもいい人たちでした。

おにぎりを作り終わり、実際に配り始めてみると最初は他の方の見よう見まねでたどたどしかったと思いますが、だんだん話せるようになりました。

おじさんたちは意外にも笑顔で接してくれたり、若いのに偉いねえと言ってくれたり(全然偉くないのに)、いつもありがとうと言っておにぎりを受け取ってくれたりして嬉しかったです。


同じ人間として生まれたのにどうして路上で生活をしなきゃいけないんだろうと思うと涙が少しだけでました。けど、そんな同情の気持ちをおじさんたちに押し付けるのはまた違うことなのかなあとも思いました。

また機会がある時に参加してお話を聴けたら、と思います。
その時は何卒よろしくお願い致します。
※今回は156回目のひとさじの会の活動でした。

≪はじめに≫
 先日、初めて、ひとさじの会の配食活動に参加しました。私は、大学の課外授業の一環として参加しました。大学には留学生向けに英語で行われている授業が数多くあります。それらのうちの、“Japanese Buddhism and Social Suffering”と題された、日本仏教と現代社会について学ぶ授業を私は履修しています。この授業では、現代の日本社会に浮上する様々な問題に、日本の仏教や寺院がどのように社会的に取り組んでいるか、ということに焦点を置いています。

 今回、このひとさじの会の配食活動に実際に参加し、様々なスタッフのお話を伺えたことは、大変有意義なものであり、感じたこと、考えさせられたことが多くあったため、ここで述べていきたいと思います。

≪日本の貧困問題は他人事ではない≫
 日本は、世界的に見ても、経済的にとても豊かな国である、というのが、ほとんどの人々の認識でしょう。私自身もそうでした。一方で、路上で生活を送るいわゆるホームレス、という方々も一定数はいる、ということは、知ることには知っていました。

 しかし、ふだん衣食住に不自由なく暮らしている私にとっては、彼らの存在は、いつも意識の外にあり、自分とは関係のないこと、と捉えていました。

 今回、ひとさじの会の配食活動に参加したことで、これまでの自分の、日本社会の貧困問題に対する『無関心』を恥じるとともに、これから日本社会を担う一員としてどうあるべきか、何をすべきかを、考え直させられました。

≪何を配るか?何が必要なのか?≫
 『配食活動』と一口にいっても、単に、『何か食べるものを配る』だけではなかったことに驚かされました。

 この『ひとさじの会』の配食活動で配るのは、おにぎりです。このおにぎりは、様々な地域から、寄付されて集められたお米からできています。そして、この貴重なお米を炊いて、ひとつひとつ丁寧に握っていきます。このおにぎりには、色々な人々の思いが、ぎゅっと込められているように感じました。

 加えて、薬や衣服、その他路上生活の助けになる物も配っているということが、予想外でした。薬や衣服といったものは普段、私が生活していくうえで、身の周りに当たり前に備わっているものです。しかし、路上で生活するとなると、これらの、あって当たり前のものがそう簡単には手に入らないのだということに、に初めて気づかされました。

 また、季節によって必要なものが変わる、ということにも初めて気づきました。これからの暑い時期は、虫刺されに効く薬が、路上で暮らす彼らにとって重宝するし、逆に、寒い時期は保温効果のあるエマージャンシーシートが役立ちます。彼らが何を必要としているのかを常に考えて、支援をしていく必要性を知りました。

≪コミュニケーションをとる≫
 配食活動の意義は、必要物資を支援するだけにとどまらないことを知りました。挨拶をしたり、体調を伺ったり、最近の出来事を聞いてみたり・・・、こうやって路上生活をしている方々の心に寄り添うことが配食活動のもう一つの意義であると感じました。押し付けがましい支援ではなく、こうして人と人との暖かい関係を築いていくことが、彼らを本当の意味で支えることになるのではないでしょうか。

 はじめて、おにぎりを配る際、私は、「不快な気分にさせてしまわないだろうか・・・?関わりたくない、とか、放っておいてほしい、と思われないだろうか・・・?」と緊張と不安で心が渦巻いていました。しかし、実際に彼らとコミュニケーションをとる中で、「ありがとう」とか、「待っていたよ」といった声を聞き、こういった不安は一気に吹き飛びました。

 こうしてコミュニケーションを積極的にとっていくことで、私たちの支援もより彼らの生活により寄り添ったものとなるでしょう。また、お金や物が無い、という意味での「モノの貧しさ」だけでなく、寂しさや不安、孤独といったものからくる「心の貧しさ」をなくすための、もう一つの大切な意義ある支援となりえるのではないでしょうか。

≪日本社会の仕組みを考える≫
 配食活動をする中で、多くの人々が路上生活を送る背景について、ひとさじの会のスタッフの方から色々なお話しを伺うことができました。

 まず、路上で生活する人々を占めるのは、圧倒的に高齢の男性が多いということです。路上で生活する女性や子供は優先的に保護されます。女性や子供といった「弱者」は、社会全体で救っていかなければならない、という共通認識が人々の間に浸透しているからでしょう。一方、高齢の男性は、比較的に後回しにされている感は否めません。結果、路上に残された彼らは、能動的に路上からの脱出を試みなければなりません。

 ただ、きちんと手続きを踏めば、生活保護を受けられるのだから問題ないだろう、というのが一般の人々の認識です。しかし、その「きちんと手続きを踏む」ことが、皆が思うほど彼らにとって簡単ではない、ということが、私にとって衝撃的な事実でした。また、生活保護を無事に受けられても、受給されたお金を上手く管理できない事例が少なくない、という点にも考えさせられました。

 路上生活者それぞれがそれぞれの困難を抱えていているこうした状況に、日本の行政が対応し切れていないように思います。また、自治体ごとに、貧困対策の在り方も様々で、上手くいっているところ、そうでないところがある、ということも、お話しを聞く中で知りました。

 私事ではありますが、将来、公務員として日本の人々の暮らしを支える仕事がしたいと考えています。そうしたことからも、今回の活動は、貧困問題や路上生活の問題と日本社会の仕組みを今一度考え直す、有意義な機会となりました。
※今回は155回目のひとさじの会の活動でした。

この度は、ひとさじの会に参加させていただき、誠にありがとうございました。

路上生活をされている方々は、我々がおにぎりやお茶を差し上げた時、快く受け取って下さいました。

正直、受け取らずに怒鳴り散らされるのではないかと、不安に思っておりました。

今回、最も勉強になったのは、路上生活をされている方々に対して、同じ目線でおにぎりやお茶を差し上げるということです。

実際私は、同じ目線ではなく、なるべく低い目線で差し上げるよう心がけたところ、路上生活をされている方々に誠意が伝わったのか、「ありがとうございます。」と返事をして下さいました。

その瞬間、ひとさじの会に参加させていただいて、心から嬉しく思いました。

機会があれば、不定期ではあるかと思いますが、再び参加させていただきたいと思います。

改めましてひとさじの会に参加させていただき、誠にありがとうございました。今後とも何とぞよろしくお願い申し上げます。