●社会慈業委員会設立趣意書 —慈しみに満ちた社会をめざして—

南無阿彌陀佛

 現在、世界中でグローバル化が進み、あらゆる情報や物資を得ることができるようになり、利便性に富んだ生活を送れるようになりました。しかし、そのような進歩・発展の裏側では、所得格差や人間関係の貧困化等の問題が顕在化しています。これまで存在した社会のセーフティーネットは機能不全に陥り、これらに起因するさまざまな社会問題が指摘されています。そのなかで、かつて社会のコミュニティの中心を担っていた寺院や僧侶に対して、「社会資源としての寺院の役割とはなんなのか」「本当に寺院・僧侶は人のために役に立っているのか」など、その公益性が疑問視され、議論されるようになりました。

 なかには、悪意ある誹謗中傷の言葉もありますが、こうした社会からの批判ともいえる言葉の多くは、僧侶への不信感から生じてきたものです。もちろん僧侶も人間ですから、それぞれの人にいたらない点はありましょう。しかし、人間としての弱さにあぐらをかいてしまうのも、また仏教者として過ったあり方ではないでしょうか。

 釈尊のみ教えをいただく仏教者にとっては、在家も出家も関係なく、み仏のみ教えに順じた生き方を心がけ、他者の苦しみや悲しみに寄り添うことのできる人となることが大切であります。さまざまな社会からの批判には、こうした真の仏教者の姿が見たいという期待も込められているのだと思います。その期待に応えていくことがなければ、いつの日か仏教者への不信感は、仏教そのものへの不信感となってしまうことでしょう。

 法然上人は次のようにおおせられています。

「佛は一切衆生をあはれみてよきをもあしきをもわたし給へとも、善人を見てはよろこひ悪人を見てはかなしみ給へる也。よき地によき種をまかんかことし。かまへて善人にしてしかも念佛をも修すへし。これを真實に佛教にしたかふ物といふ也」

 つまり、「お念仏を申すすべての人を阿弥陀さまはお救いになるけれども、日頃から善い行いを心がける人であれば、さらにみ仏はお喜びになるでしょう。そして、良く耕された土地に良い種をまくように、善い行いを心がけながらお念仏を申す人こそ、真にみ仏のみ教えに順じた人である」とお示しくださっているのです。

 私たちは、法然上人のおっしゃるように、み仏のみ教えに順じた生活を心がけ、微力ながら混迷する現代社会に慈しみの種をまく活動を行っていくことが大切であると信ずるのであります。そして、男僧・尼僧・寺族・信者の区別なく社会活動を行うことを通じて、ふれあい、助けあい、学びあい、みんなで社会が慈しみの心で満ちあふれたものとなるように努めたいと考えています。

 このような活動が積極的に推進されるためには、多くの人が参加できる組織づくりが求められます。よって、社会において法然上人の説かれたお念仏の根底にある万機普益・平等救済といった慈しみの精神を具現化する「社会慈業委員会」をここに設立いたします。  合掌  平成21年4月7日