●設立までの歩み

2004年 
・8月に江東区浄土宗正覺院徒弟原尚午が、大正大学社会福祉学科の知人を通じて、新宿連絡会の新宿夏祭り前夜祭における追悼法要を依頼される。以後、毎年新宿夏祭り前夜祭の追悼法要を、現在の社会慈業委員会会員がつとめている。

2007年
・12月に原尚午・佐藤堅正・吉水岳彦の三人がNPOもやい代表理事と新宿連絡会医療相談の方と対面。身寄りのない元路上生活者のためのお葬式とお墓の問題について相談を受ける。

2008年
・1月に新宿中央公園における越冬闘争に原尚午と吉水岳彦が参加。
・NPOもやいのサロンであるこもれび荘において元路上生活者のための葬送とお墓の問題を話し合う葬送支援プロジェクトの発足。1月から7月まで毎月話し合いを行った。
・2月に墓石を越谷浄土宗安國寺町田唯真が寄付するとの申し出がある。しかし、墓石が大きすぎるため、置く場所の検討が行われる。
・6月にNPOもやいが「自分のエンディングを考える」会を行う。どのような最期を望むか、お墓はどのようなものがよいのかについて、当事者達と共に話し合う。
・7月に台東区浄土宗光照院にお墓を建てることが決定し、墓石も光照院にある古い五輪塔を用いることになり、すぐに着工。
・7月中旬に町田唯真が、光照院の墓地が一杯になってしまった際、住職自身も入る安國寺永代供養塔に骨壺の古いものから納骨することを提案。
・7月下旬に町田唯真が、葬儀の際に備えられる缶詰200缶を新宿区の結核検診のために新宿区保健所に送る。これ以後、町田唯真はNPOもやいやNPOあうん等の生活困窮者支援団体や結核検診を行う保健所に対して、米や缶詰を送る支援を開始。
・10月中旬に「結の墓」と名づけられたNPO三団体のお墓が完成する。
・10月下旬にNPOもやい代表理事と吉水岳彦が江戸川区浄土宗寿光院と江東区浄土宗正覺院に一時あずけてあった元路上生活者の方のお骨4柱を引き取り、葬儀社でお骨を粉末状にしてもらい、小さな骨壺に移し替える。
・11月3日に光照院にて吉水裕光住職導師のもと、若手僧侶3名とともに元路上生活者4名の改葬法要を営む。続いて「結の墓」の開眼法要を行い、4名のお骨を納骨する。

2009年
・1月に新宿中央公園における越冬闘争に原尚午と吉水岳彦が参加。これ以後、原尚午と吉水岳彦は毎週新宿中央公園で行われる炊き出しとパトロールに参加する。
・2月5日に元路上生活者山本氏の納骨供養を光照院で行う。
・4月7日に路上生活者のための葬送や追悼法要、支援活動等に参加していた原尚午と吉水岳彦が、社会的弱者に寄り添う活動を行うための団体「社会慈業委員会」を設立。
・5月11日の朝日新聞朝刊記事に社会慈業委員会のことが掲載される。
・5月28日に安國寺永代供養塔が完成し、開眼法要が行われる。
・6月18日に社会慈業委員会のドヤ見学会が行われ、同日夜第1回総会が行われる。
・7月28日に購入する予定の社会慈業委員会炊き出し道具の下見を行い、路上パトロールのコースを選定するための実地調査を行う。その合間に、役員理事会を行う。役員会において、社会慈業委員会の通称に「ひとさじの会」という名称を用いることを決定。
・8月16日に会長と事務局長は、はじめて新宿夏祭りにおいて行われることとなった結核検診のボランティアに参加する。多くの医療関係者や新宿区保健所の職員の他、新宿連絡会やTENOHASI等の支援団体と共に活動に従事する。同日夜には理事も加わり、3名で新宿夏祭りの炊き出しから後片付けまでを手伝う。
・8月20日に社会慈業委員会の第2回総会が、夜回りの予定地付近で行われる。
・9月7日に会長と事務局長が隅田川医療相談会他、山谷・浅草地区で活動をするNPO団体の会議に参加し、社会慈業委員会の炊き出し夜回りへの協力を求める。特に、医療と福祉に関する連携をとれるようにお願いする。
・9月14日に社会慈業委員会会員が児童養護施設の草むしりを行う。これ以後、児童養護施設の草むしりが定期的に行われる。
・9月18日に、社会慈業委員会の道具を置くスペースを作るべく光照院の倉庫の掃除を行い、合わせて炊き出しに必要な道具と薬品等を買い出し、試験的に炊きだし&夜回りを行う。
・9月30日に社会慈業委員会のホームページを開設し、炊き出し&夜回りのボランティアの募集や寄付を募れる態勢を整える。
・『寺門興隆』10月号に生活困窮者の葬送支援に関する特集の中で、社会慈業委員会の活動が掲載される。
・10月5日に社会慈業委員会により、第1回ひとさじの会炊き出し&夜回り開始。