ある朝
テレビの画面に
映し出された一人の娘さん
日本で最初の盲人電話交換手
その目は
外界を吸収できず
光を 明るく反映していた
何年か前に失明したという その目は
司会者が 通勤ぶりを紹介した
「出勤第一日目だけ お母さんに付き添ってもらい
そのあとは
ずっと一人で通勤していらっしゃるそうです」
「お勤めを始められて 今日で一ヶ月
すしづめ電車で片道小一時……」
そして聞いた
「朝夕の通勤は大変でしょう」
彼女が答えた
「ええ 大変は大変ですけれど
あっちこっちに ぶつかりながら歩きますから、
なんとか……」
「ぶつかりながら……ですか?」と司会者
彼女はほほえんだ
「ぶつかるものがあると
かえって安心なのです」
目の見える私は
ぶつからずに歩く
人や物を
避けるべき障害として
盲人の彼女は
ぶつかりながら歩く
ぶつかってくる人や物を
世界から差しのべられる荒っぽい好意として
路上のゴミ箱や
ボルトの突き出ているガードレールや
身体を乱暴にこすって過ぎるバッグや
坐りの悪い敷石や焦々した車の警笛
それはむしろ
彼女を生き生きと緊張させるもの
したしい障害
存在の肌ざわり
ぶつかってくるものすべてに
自分を打ち当て
火打ち石のように爽やかに発火しながら
歩いてゆく彼女
人と物との間を
しめったマッチ棒みたいに
一度も発火せず
ただ 通り抜けてきた私
世界を避けることしか知らなかった私の
鼻先に
不意にあらわれて
したたかにぶつかってきた彼女
避けようもなく
もんどり打って尻もちついた私に
彼女は ささやいてくれたのだ
ぶつかりかた 世界の所有術を
動詞「ぶつかる」が
そこに いた
娘さんの姿をして
ほほえんで
彼女のまわりには
物たちが ひしめいていた
彼女の目配せ一つですぐにでも唱い出しそうな
したしい聖歌隊のように
はじめて読んだときに強く感銘を受けたことを記憶しています。世界とぶつかりながら、その肌触りを感じながら懸命に生きてゆく盲目の彼女の姿に。そして、また「人と物との間を しめったマッチ棒みたいに一度も発火せず ただ通り抜けてきた私」という多分、吉野弘さんが一番伝えたかったであろう一節に。
わたし自身も東京に居を移して七年になりますが、恥ずかしながらその間に「世界の所有術」ではなく「処世術」に長けるようになり、あまり摩擦を起こさずに日々を暮らしてゆけるようになりました。
はじめは苦手だった人混みや都会の喧騒も、物珍しかったネオン街も、入り組んだ人間関係も、いつの間にか当たり前の風景となって通り過ぎるようになりました。そう、そしてホームレスの問題も…。そうしてないと生きづらいのだから仕方ないじゃないか、となかば強引に開き直りながら、本当に「しめったマッチ棒」のようでした。
最近、この活動に参加するようになってから、あらためてこの詩を読み返してみました。そうしたら、びっくりするようなことを自分は見過ごしていたのだと、今さらながらに気づかされました。
なんと、わたしは詩に書かれている当の本人である彼女の痛みのことをまったく想像し忘れていたのです。吉野弘さんによる「ぶつかる」という事象への逆説的な考察の鮮やかさと、わが身のしめったマッチ棒のような愚図っぷりを恥じることに満足しきっていて、本来であれば真っ先に考えるべき彼女自身の処遇、そのことがお座なりにされていたのです。
そんなわたしは、ほほ笑みながら「ぶつかるものがあるとかえって安心なのです」と答えた彼女の言葉を額面どおりに受けとって、どこかでそれは彼女の天性の明るさみたいなものに起因するのだと勝手に決めつけ、そんなものかと思い込んでいました。
あの答えを出すまでに、彼女はいったいどれだけの痛みを重ね、どれだけ多くのことを諦め、どれだけ世界の硬さとぶつかり合ってきたことでしょう。いまだってそれを乗り越えたと本当に言い切れるのか…。やはり「この世界を自身の眼で見てみたい」、その気持ちは彼女の心の深いところに押し込められているに違いありません。
ひるがえって、路上生活者のおじさんたちと接する機会を得ることができたわたしは、この詩のことを考えていました。あぁ、おじさんたちはなんとゴツゴツとした世界に直面しているのだろうと。わたしたちが知らない世界の歪みを、世界の硬さを、世界の痛みを、彼らは体現しているのです。ぶつかり続けることを余儀なくされているのです。
ひとさじの会の活動に参加する以前のわたしは、路上生活にも世の深さを知るような何らかのプラスの要素だってあるのではないか、どこかでそんな呑気なことを考えていました。
実際には一日でもはやく路上生活を脱出したい人がほとんどです。たまたま滑り台から転げ落ちるように生活困窮から路上生活へ。そんなわが身の非情な運命とどうにかこうにか向き合いながら、ごまかしながらも付き合ってゆく、これが精神的にも肉体的にもいかにつらいことか。
わたしたちにはその姿がぜんぜん見えていません。それは情報があまりにも少ないからともいえますし、でもやっぱり想像力が足りなかったからともいえます。「プラスの要素」だなんて無神経な思い込みをずいぶん反省しました。
ただ一方で、どうしても離れられなくて、路上生活に何度も何度ももどってしまう方々もいるのだという現実。これは人間の内面に根ざすような極めてナイーブな問題なのだと思い直し、今はまたそのことを慎重に考えています。
否定も肯定もできないこと、答えの出しにくいこと、どうにもならないこと、それでも生きるのだ、ということ。何だか説明になっていませんが、とにかく複雑な問題はかんたんに答えが出ないものだし、むりやり出さなくてもよいのだろう、今はそんなふうに考えています。
ひとさじの会は浄土宗の僧侶が中心となって立ち上げたグループですから、配食のまえに本尊の阿弥陀仏に合掌します。どの仏さまもそうですが、おだやかな柔和な表情でわたしたちを見守ってくれています。
阿弥陀仏は仏になるまえは、法蔵菩薩という名前の仏道修行者でした。法蔵菩薩は「五劫思惟」「兆載永劫」と呼ばれる、とにかくはかり知れない長い間修行して、いろいろな国土の様子を見てまわって、まだまだ救われていない人たちがいるのだと気づいて、その人たちを救うためにこんな仏国土がつくりたいと願いを込めて四十八の本願をたてました。
かくして本願を成就した法蔵菩薩は仏となり、今は極楽浄土にいらっしゃるわけですが、そこにたどり着くまでの間に一体どれだけの諦めがあったことでしょう。だって法蔵菩薩の修行時代には極楽浄土がまだつくられていなかったのですから、苦しむ人々を目前にしながらも、そのすべてを救うことはできなかったはずです。きっと断腸の思いだったことでしょう。阿弥陀さまは誰よりも長い時間、途方もなく苦しみ続けていたことと思います。
今、阿弥陀さまはそんな苦労はどこへいったものか、和やかな表情でほほ笑んでおられます。その表情の裏側にいったいなにがあるのか、それはわたしたちの想像力でしか補うことのできないものです。
浄土宗の聖典とされる『阿弥陀経』というお経には、
其の国の衆生はもろもろの苦しみあることなく、但だもろもろの楽しみのみを受く。故に極楽と名づく。
との一節があります。これは言葉にしてしまうと「抜苦与楽」(苦を抜き、楽を与える)のわずか四文字の熟語に過ぎないものかもしれません。阿弥陀さまがどんな思惟をなされていたのか、未熟なわたしたちでは思いも及びませんが、それでも思いを寄せてみようと想像しはじめることで、わたしはほんの少しだけこの言葉の重みを受け取ることができたような気がしています。
そんな阿弥陀さまですから、わたしたちを応援してくれないはずがありません。たとえ、それが間違った方法だったとしても、それでもなお、わたしたちの所業を静かに見守ってくれている仏さまなのだと、まことに勝手ながらそう思っています。
ホームページではひとさじの会の活動とはまた別に、月に一回催される為先会というお念仏の会のことを広報していますが、わたしはそこでたっぷりと用意された時間のなか、時々そんなことを悶々と考えています。想像してみています。
さて、わたしはたまたま機縁があって本活動に参加させていただきました。現場を知るというのは大事なことと思いますが、それは時間と環境とタイミングが許すかぎりにおいて、たまたまいただくことのできた幸運なのだと考えています。
「百聞は一見にしかず」とはいいますが、なにより一番大事なのはその体験をもって「何を考えるか」ということではないでしょうか。ホームレスの問題はそれこそ毎日のようにその現実を見ているはずなのに、思いを寄せない限りはそれが前景化してくることはありません。
吉野弘さんは自身の詩を解説するなかに次のようなことを述べています(*1)。
私たちは世界にさわって生きていることを、きれいさっぱり忘れてしまいます。私たちが物を見るということも、実は、目が(視線が)ものにぶつかることなのですが、それさえ忘れているのです。
日々つれづれ、あきらかに目にぶつかってきているものだって、なかったかのように振る舞えるわたしたちです。知ろうとすること、想像すること、思いを寄せること。それはかんたんそうで、案外むずかしいことなのかもしれません。でも、それは現場に立つことのかなわない皆さまにもできることではないかと思います。
ホームページではできるだけ多くの言葉を発信してゆこうと考えています。活動日誌は炊き出しに参加してくれた会員たちに持ち回りで書いてもらっています。ナイーブな問題であるからこそ、実のところ日誌ひとつを書くにしてもずいぶんと神経をすり減らしています。皆さまがその文章の裏側にあるひとさじの会の会員たちの思いを、少しでも感じ取ってくだされば幸いです。
先日、定例会と呼ばれるひとさじの会の会議が行われました。会議を終えて外へ出ると、すっかりと冷え込んでおり、冬の寒さが一段と身にしみました。「寒いですね」と一言、当会の会長に話しかけました。会長は一瞬ためらって後、前を向き直って「おっちゃんたちはもっと寒いやろうなぁ」とつぶやきました。
この思いにささえられて、ひとさじの会は成り立っております。時にはぶつかり合うこともあるでしょう。それでもわたしたちはぶつかりながら、それを世界の手荒な歓迎と受け止めてすすんでゆくことを選択しました。雨の日も、雪の日も、負けずに、元気にあったかいおにぎりを結んでいきます。
皆さんもいっしょに握ってみませんか?いっしょにおにぎりを届けてみませんか?お腹のすいている人たちに、皆さんのぬくもりを少しでもおすそ分けいただければと思います。願わくは、そこで結んだおにぎりの縁が、そのぬくもりがいつまでも続きますように。合掌
※1…吉野弘『現代史入門』(青土社、二〇〇七年)四四頁。なお、吉野弘さんはこの詩について「事を美化しすぎているように思う人もいるでしょう。幾分、その気味がないこともありませんが、目の不自由な人が、周囲の事物や人に「ぶつかる」ことを通じて世界を所有してゆく、その所有術には、目の見える私たちを震撼させる力があります」、あるいは「しかし私は、目の見えない人に同情するということではなく、目の見えない人が、見えない世界の事物を所有する意思、いや、所有せざるを得ない意思を、なんとか詩にしようと思ったのです」と述べています(『同』四四~四五頁)。
※2…本文中の「どうにもならないこと、それでも生きる」との一文は、歌手であり僧侶でもある二階堂和美さんの楽曲「目ざめの歌」の一節「この世の全ては/どうにもならない/それでも生きる/わたしは生きる」から引用させていただきました。