昨年10月、厚生労働省は、住宅のない失業者に最大で6ヶ月間の住宅費を支給する制度と、連帯保証人なしで生活費を貸し付ける制度を導入することを決定しました。
これが「住宅手当緊急特別措置事業」というもので、失業すればそのまま住居を失う方が多いことから、住所がないと受けられない生活保護制度を補うためにはじめられたものです。受給される金額は、都内の一人暮らしの場合で月5万3700円だそうです。
一時的な措置かもしれませんが、行政がホームレス状態にある人をこれ以上増やさないように動いたことは素晴らしいことだと思います。しかし、現在この制度を利用するには1ヶ月以上待たねばならない状態にあるようです。結局、すでに住居を失った人は、制度を利用できるまでの間野宿で過ごさねばならないことになります。
また、制度を受けて6ヶ月間の住宅費を受けている間に次の仕事が見つからなかった場合も容易に予想されます。その場合、6ヶ月目以降の家賃をちゃんと納めてもらえるのか、部屋を貸す側も大いに心配するところです。このような現状を勘案すれば、制度が円滑に機能しているとはいえない状況にあることは明らかです。
公設派遣村など、社会のあらゆるところでこのような貧困に対するさまざまな施策が講じられています。ところが、都内に約5000人ともいわれる路上生活者の問題を解決に導くことさえ、難しいのが現状です。
先日、とある路上生活者の支援を行う方が「社会において貧困問題がこれだけ多く取り沙汰されるのに実際の問題解決にはほど遠い。社会の貧困問題に対する関心は「趣味」に近いものなのではないだろうか」とおっしゃっていたのを耳にしました。ひとさじの会の活動が徐々に認知されてきて、少しいい気になっていたわたしの胸にズシリと響く言葉でした。
この世を共に生きている以上、自分とまったく関係がないものなど一つもないと、お釈迦さまは「無我」のみ教えを説かれました。電気を使用し、空港を利用するなど、わたしたちが生活を営む上でさまざまな恩恵を受けることが出来るのも、社会のあらゆる人たちがそれぞれの仕事を為しているからです。
路上生活の方々の多くは、日本が経済発展を遂げる際の下支えとなってさまざまな建造物をつくってきました。お釈迦さまのみ教えに合わせ考えるならば、路上生活の方もまた、わたしたちと浅からざるご縁を有しているといえるでしょう。つまり、お釈迦さまは、わたしたちが相互にかかわり合わなければ生きていけないことをただ示すのではなく、社会における困難な問題をわがことと直視すべきことをここに教えてくださっているのです。
「仏道」が仏の教えを身に行うことを第一義とするものであるならば、どれほど困難な問題であろうともそれに向き合い、多くの人と共に手をたずさえて進んでいくのが望ましいことでしょう。「わたしは永劫の時間において大いなる施主となり、あまねく貧苦の者をすくうことができなければ、誓って仏にならない」とは、阿弥陀さまの修業時代のお誓いの言葉。
自分の頭の上のハエも追えないわたしとは、まったく次元の違うことです。しかし、一つのことを全うすることさえ困難なわたしではあるけれど、同じ社会を生きるものとして、苦に直面している方に寄り添っていくことを大切にしていきたいと思うのです。
「貧困」で苦しむ方の存在は、決して他人ごとではないのです。阿弥陀さまのかぎりなきお慈悲に学び、同じ社会を生きる一員としてみなさまと共に直接かかわっていきたいものです。
合掌 南無阿弥陀佛
【補註】
大乗仏教で説かれる「無我」とは、不変的な実体(我)がないことをいいます。つまり、すべての生きとし生けるものは単体では存在し得ず、時間的にも空間的にも相互に依存し合い、その関係性のなかにおいて常に変化しながら存在していることを意味します。