8月14日、新宿夏祭り慰霊祭が新宿中央公園で行われました。
「無念追悼」と大きく書かれた祭壇には、新宿に縁のあった多くの方の写真が飾られ、中央には昨年の4月以降に路上で亡くなられた方や新宿の支援団体に縁のあった故人などの年齢や死にいたった場所が貼り出されてありました。
名前のわからない方がほとんどでしたが、死にいたった場所や年齢などをみていくと、その人が確かに存在して精一杯生ききったのだということが、わかるようになっていました。
17時になるとNPOもやい代表理事の稲葉氏がマイクで仲間に慰霊祭の開始をよびかけ、数百人が集まったところで、先立った仲間のことを想い、黙祷をささげました。
その後、この日集まった、ひとさじの会の僧侶4名で法要をつとめました。
毎年、仏教式の慰霊法要を行っている新宿では、お焼香をご案内すると、すぐに近くの方から3人ずつ祭壇に向ってお香をたむけていきました。
お焼香をされるかたのなかには、「お前、早かったなぁ」「安らかにな」などと声をかける方も多くいらっしゃいました。
お念仏の後、原導師が故人の年齢やご命日をもって一人ひとりのご回向をおこないました。
一人ひとりが精一杯生きて、その最期、臨終のときをどのようにむかえたのか。
ご回向の内容は、それを聞いてわかる言葉でした。
法要の後、お盆の話をさせていただいて慰霊祭は終了しました。
慰霊祭が終わって祭壇が移動された後も、多くの人が祭壇に手を合わせに来られました。
3年前からこの法要に参加するようになって、ご回向の際にいつも思い返す言葉があります。
それは、法然上人の次のような言葉です。
「人の死の縁はかねておもうにもかなひ候わず」
つまり、われわれの小賢しい知恵ごときでは、一体どのような死をむかえることができるのかは到底わからないのだということです。
いかなる生まれであろうとも、いかなる仕事についていようとも、いかなる性格であろうとも死というのは関係なく、万人に必ず訪れるものです。
でも、日ごろはそれを忘れて、自分には関係ないのだと実は心の奥底で思っている…
そんなわたしがいることに、この法要に参列するたびに気づかされて愕然とするのです。
自分が最期をむかえる日まで、いったいどのように生き、どれだけの人と出会い、心を通わせることができるのか。
わたしもお念仏を申して、仏さまと向き合う生活のなかで、真剣に考え、行動していきたい、そのようなことを思った慰霊祭でした。合掌