「炊き出しは段取りやねん!」
ひとさじの会の料理長の一言からこの企画ははじまった。
何を隠そう、わずか男子2人で気仙沼の避難所になっているお寺さまをうかがい、朝・昼・晩の三食を60人分つくるという(当初は80人前の予定だった)。
大学時代からの同志という、事務局長と料理長の間で急に立ち上がった企画。
(*事務局長は別用で現地に行けないので、自分のところに同行の要請がきた)
はじめは自分も耳を疑ったほど。
「えーと、たった2人で…」「しかも自分はそんなに凝った料理できないよ…」
「普通、炊き出しって一食ぐらいのもんじゃないの?」
次々に浮かんでくる不安の気持ちを吹き飛ばすように、料理長の語気は荒い。
「実はうろ覚えだけど、学生時代の児童教化サークルの人形劇の巡業で、そのお寺さんに行ったことがあると思う。思い入れがあるからどうしても行ってあげたい」とのこと。
料理長は、もともと万能多芸なホテルマンで、ホテルの宴会料理なども手がけていたので多人数の料理を仕出すことには慣れている模様。たった1人で少年野球の炊き出しを100人分作った経験もあるらしい…。坊さんではないのに、ナチュラルな利他精神のかたまりのような方なのだ。
次々に豊富なアイデアがほとばしってくる。
そんな折、一通のメールが届く。
行き先のお寺さんに現地入りしてくれている友人が、避難所の方に食べたいもののリクエストを聞いてくださったのだ。それによると、
第一位 スパゲティ
第二位 餃子
第三位 おそば
ふむふむ。
さて、基礎的なことだが、現地で炊き出しをする場合の暗黙の了解がある。
すなわち、全員に同じものを、できるだけ同じタイミングで出す。
要するに不公平感が生まれないこと、配膳がスムーズにできることである。
その場合、麺類ははたして2人でスムーズな提供ができるのか。
乾麺は茹で上がるのに時間がかかるし、そばは延びるし、スパゲティも冷めちゃいそうだし。
不安な言葉が飛び交うなか、料理長の決断。
「リクエストのベスト3のうち、どうしても2つは叶えたい。
よし!おそばと餃子を作る。
そのために、徹底的な事前準備と最短の段取りを考える」と。
そしてさらに冒頭の一言が料理長の決意を固める。
自分もひそかに決意する。
料理は急にうまくはならない。だから、調理面は料理長に完全におまかせして、それ以外のお寺さんや受付の方との折衝やできる限りの補助に全力を注ごう。料理長を調理に専念させることが一番の仕事だ、と。
かくして、一週間後の炊き出しに向けて、料理長の試行錯誤の日々がはじまった。
リサーチの結果。
・そばは乾麺ではなく冷凍麺を使用する→調理時間の大幅短縮
・水餃子の方が楽だけど餃子といえば焼餃子でしょう→チルド餃子にする
・餃子にあわせて夕食は春雨スープ
時は経ち、出発の日(19日)。
料理長と事務局長と自分と3人がドライバー(*事務局長は仙台駅にて下車)。
15時頃。出発直前に、新鮮な野菜類やそばの冷凍麺(念のため冷凍うどんも)などを購入。
東京を出るまでは晴天でした。
・・・が、震災によって道路が凸凹になっているだけでなく、福島のあたりを過ぎるとチラホラ雪がぱらついてきた。しかしそれも想定内。
何を隠そう、料理長は究極の「雨男」として、ひとさじ内ではあまりにも有名だから。
一関インターで高速を降り、真っ白になった路肩を横目に進んで気仙沼・浄念寺に到着する。
しかしながら、時計は午後9時半をまわり、すでに就寝の時間(午後9時)を過ぎている。風雨悪天や道路状況を言い訳にできないが、到着の予定が大幅に遅れてしまった。
すでに本堂内に寝泊りされているカウンセリング研究会の方に連絡を取り、わざわざ外まで出てきてもらって避難所の状況や炊事場についての情報を提供いただく。
副住職さまにも夜分に失礼して、一言ご挨拶をさせていただく。
我われは就寝されている方へのご迷惑を懸念して車中に寝泊り(2名)することにした。
早朝3時に起き、朝食の準備をする。
ひとさじの会としては、やっぱりおにぎりは譲れないでしょう。
ということで、
いつもより小さめのおにぎりを120個握り、料理長はみそ汁を作成。自分は、出来合いのポテトサラダと漬物を順々に盛りつけてゆく。
それから、みそ汁は具材を入れておき、後はつゆを注げばよい状態で対機【写真1】。
時々、外にある仮設トイレに起きた方がこちらの方をやや訝しそうに眺めている。
ああ、しまった。本来であれば昨晩、就寝前までに着いて、一言明日の炊き出しを作らせていただく旨を皆さんの前でお伝えすべきだったところ。あらためて反省する。
4時半ごろから続々と本堂内の皆さんが起床しはじめ、水場が混雑しだす。水場が炊事に使えないので、汲み水を駆使しながら作業を続ける。
6時半。ほぼ時間通りに完成したところで配食スタート。ところが、まだ一度も避難所内にお邪魔していないので配膳のイメージが沸かない。カウンセリング研究会の方に確認し、炊事場の作業台まで、避難所の方や自治労の方にお盆を持って取りに来てもらい、数プレートずつまとめて本堂内に持っていってくださることに。
お手伝いいただきながら、着々と配膳をすすめていたところ、思わぬ事件が発生する。みそ汁の食器の容量を間違えてしまい、途中でみそ汁が足りなくなったのだ。初歩的なミスである。
万全の準備を目指していながら、案外こういう単純な落とし穴に気づかなかったりするものだ…。
料理長が追加分のみそ汁を急いで調理し、炊事場はやや緊迫した雰囲気がただよう。
少しだけお待たせする時間ができてしまったが、なんとか大事には至らなかった。大いに反省し、昼食と夕食の際は、盛り付けの分量を再三確認することを料理長と誓いあう。
食後に、使用済みの食器を洗浄しようとすると、避難所内の炊事当番の方から「せめて食器洗いだけでもやりますよ」との申し出をいただいたので、朝食時の洗浄を一緒に行った。昼食と夕食はそのまま片付けをお任せした。ただし、食器にラップを敷き脂分の付着を防ぎ、大きな手間にならないように気をつけた。
朝食の片づけを終えた後、カウンセリング研究会の皆さんと一緒に子供たち(4人)と境内や保育所のグラウンドを使って遊んだ。おんぶしたり、肩車したり、鬼ごっこしたり、だるまさんが転んだしたり。
その後、本堂内に入り、お茶飲み話をしながら、どのような現状なのかをうかがう。
神戸からきたボランティアコーディネーターの方もおり、3月24日に駆けつけて以来の状況について、時系列的にお聞きした。
10時半頃。昼食の準備をはじめる。
まずは寸胴にお湯を沸かし、鳥南蛮のスープを料理長が調理し始める。自分は新品のてぼ(計5個)を洗浄し、さらにトッピングとなる山菜・ネギなど準備。
11時半頃。 麺の茹で上げを始める。
作業中に、さっきまで一緒に遊んでいた小学生の兄弟がちょっかいを出しにくる。
「手伝ってみない?」と誘ってみると「やりたい!」と即答。
さっそく、トッピング(山菜、ネギ、半熟たまご、かまぼこ)のお手伝いをしてもらう。
朝食時に比べれば、各段にスムーズに配膳も進んでゆく。
んーーー。あれあれっ?
なんだか、子供たちはそばの「てぼ」が気になって仕方ないようにみえる。
そこで、「それ子供たちやらせてみない?」と料理長に相談してみたところ、
「ええよ!」と笑顔のゴーサインがでる。
作業のめどが立ちはじめて、だいぶ余裕が出てきた。
大喜びで子供たちがそばを茹で上げ、お湯きりをはじめる。
楽しそうな姿をみて、一気に炊事場がにぎやかになる。
配膳のためにおそばを取りにくる大人たちも目を細めながらその様子をみていた。
やっぱり子供たちのエネルギーってすごいな、と大いに感心した。
しばらくすると、食べ終わった人がわざわざ炊事場まで来てくれて、
「本当にそば食べたかったんだよ、ありがとう」
「久しぶりに温かいそばが食べれてうれしいよ」
と口々に言ってくれた。
そんなに手間がかかったものではないけれど、やっぱり事前にリクエストされたものを作ったということがとても喜ばれたのだと思う。くわえて四月の上旬を過ぎたのに急激な冷え込みがあり、そこに温かいそばを提供できたという偶然も重なった【写真2】。
事実、残飯がまったくといってよいほど残らず、ほとんどの方が完食してくださったようだ。
残飯になったのはお手伝いに来ていた兄弟のお兄さんの方が、かまぼこをつまみ食いし過ぎて、さらにそばが延びちゃって食べきれなくなってしまったという珍事のみ(笑
ただ、注意しなければならない点がひとつ。
それは、せっかくボランティアの方が作ってくれた食事だからと気遣ってスープをすべて飲み干してしまう傾向にあること。ご高齢の方が多いので、健康面で高血圧なども心配される。そばなどを出す場合は、配食を担当している方に一言お声かけしてもらってもよいかもしれない。
食後間もなくして、出前寺子屋in被災地(主催:浄土宗報恩明照会)の開催。
フォーク歌手の立石ともやさんが登場。
本堂内のご本尊と対面する位置にてご演奏くださった。
オリジナルから懐メロまで、様々なナンバーを駆使して会場は大いに盛り上がる。
自分は本堂内にて演奏を楽しませていただいたのですが、その頃料理長はというと…。
!!やっぱり炊事場にいた!!
しっかり立石ともやさんを含む報恩明照会一団さま分の食事を用意している。寸胴から小さな鍋に移し替え、てぼも2個を除いて洗浄し、夕食の下準備もはじめる手際のよさ。
お寒いなかでの温かいそばはここでもやっぱり好評。
夕食の下準備をひとしきり終えた後、料理長とともに気仙沼市周辺の被災地を少しだけ視察。
お寺からわずか数キロ離れただけでこんなことに…。非難している方がどんな気持ちでいるのかあらためて深く考えさせられた。
帰ってきて、お寺に隣接した鹿折保育所を訪問。
所長の方にいろいろとお話をうかがう。
実は保育所の方が正式な避難所として登録されていたのだが、震災から逃げてきた人は保育所を通り過ぎて一斉に浄念寺の本堂に避難した。
保育所はそのまま閉めて、はじめの一週間くらいは保母さんたちが浄念寺の本堂に付きっきりで身の回りの世話を行った。その後、徐々に保育所再開に向けて準備を進めていったのだそうだ。
卒業式を行うことができなかったことを悔やみ、もし来所が可能であればと案内状を出して特別に式典を催したところ、予想以上に多くの方が集まって喜んでくれたことを涙ながらに語ってくださった。心理的なけじめとしての儀式・儀礼の必要性を痛感させられた。
それから、料理長はさまざまにお話をするのなかで、学生時代に確かにこの保育所を訪れていたことを確信したようで、夏休みに必ず人形劇サークルの後輩たちをお呼びします、と約束をとりつけていた。
4時半頃。夕食の支度を開始。
料理長は野菜を切って、春雨スープを作りはじめる。
自分は相変わらずマカロニサラダと漬物の盛り付け。だいぶ手際がよくなってきた。
このあたりで、雑誌『THE法然』の方の取材がはじまる。
ちゃっちゃと手を動かしながらこれまでの経緯を説明してゆく。
5時過ぎ。少しずつ時間が迫ってきているというプレッシャーを感じ始める。
5時半。料理長がフライパン2つを駆使して餃子をで焼き上げる。1つあたり20個ぐらい。
焼きあがると同時に一食分6個ずつをプレートに盛り付ける。
プレートには餃子とポテトサラダと浅漬け風ツナサラダと漬物。
盛り付けにも結構時間がかかることが判明する。
さらにご飯と春雨スープがある。
くわえて、この作業台には10人分くらいのプレートしか仮置きできない。
そう。決定的に人数が足りないのだ。
5時半。料理長が必死に餃子を焼き上げている横で、一つの決断をする。
「お恥ずかしながら…」と正直に頭を下げて、盛り付けのお手伝いを緊急要請することに。
(当初は、料理長と二人だけで、できるだけ現地の人の手を煩わせないことを目標にしていた)
さっそくカウンセリング研究会の方と広島県の自治労働組合の方が援軍にきてくださった。
餃子が焼きあがるたびに、みんなが手早くプレートの盛り付けを行い、どんどん配膳されてゆく。
いつの間にか、雑誌『THE法然』の取材の方までがその輪に巻き込まれていた【写真3】。
それもそのはず。
料理長が野菜をタンタン切り、餃子をジュージュー焼き、次の瞬間にはスープの味見。
思わず見とれてしまうほどのスピード感。ある種、コミカルにさえみえるテンポのよさ。
「ああ、これは手伝ってあげないとね」という雰囲気が自然にもやもやと醸される。
そんな猫の手も借りたい状態の真綿のような圧力に、皆さまやさしく屈服してくださったようです(笑
さらにご飯と春雨スープの寸胴を炊事場から出して本堂の玄関まで持ち込み、避難所の炊事当番の方に盛り付けをお願いした。ご飯用のふりかけ5種類とお茶漬けもお渡しし、そのアナウンスもご案内をお頼みした。
自分はというと、本堂と炊事場を行ったり来たり、行ったり来たりをひたすら繰り返し。いったい全体、自分が何をしていたのかあまりよく思い出せない(一応、取次ぎをしていた…はず)。
きっと…何かの役に立っていた…と信じたい。
かくして、にぎやかしいまま盛り付けと配膳が終了する。
本堂に入って盛り付け班のみんなと一緒に食事。ほっとひと息をつく。
少し冷めても餃子の味はしっかりしていた。これなら大丈夫と思って一安心。
ところが、ここで餃子にポン酢をかけるという一手間を忘れていたことに気づいてしまう。
料理長に頼まれていた自分の仕事である…。人知れずショックを受ける。
が、クヨクヨもしていられないので切り替えて、次の仕事をする。
夕食の後片付けと、残してゆく食材や器材の調整。
当たり前のことだが、必要のないものまで現地に置いてきてはいけない。
そのあたりを食材や器材を管理担当している方としっかり話し合い、必要なものだけを残し、あとは車につめなおして身支度の完了。残念ながら明日の午前中までに帰京しなければならない。
8時頃。夜のミーティングが開始する。
そのなかで、我われのことをご紹介いただいたので、簡単にご挨拶させていただく。昼食の準備を手伝ってくれた小学生の兄弟のこともしっかりお伝えした。拍手。仏さまの前でのご挨拶だったので、正直に、夕食の皆さまの餃子にポン酢をかけ忘れたことをお詫びする。懺悔。もっと美味しかったはずなのにごめんなさい、って。
その後、副住職様にご挨拶をし、東京に向けて旅立つ。一関インターでドライバーを交替すると、ようやく料理長がお休みに入られた。寝息が聞こえてきて、安堵する。お疲れさまでした。
仙台駅で石巻方面に足を伸ばしていた事務局長と合流し、ドライバーを順に交代しながら、21日早朝6時ごろに東京に着いた。心地よい疲労感だった。
以上のように炊き出しについては概ね好評であった。その要因は、すでに現地入りしていたカウンセリング研究会の方に、事前に現地の方のリクエストを聞いていたことが第一にあげられる。そして、少ない人数でも調理が可能なように、料理長が徹底的な事前準備を行ったことでそのリクエストが叶えられた。
既述したように夕飯は皿数が多く、カウンセリング研究会をはじめとする多くの方にお手伝いしてもらうことになった。この点は反省しても反省したりない由々しき事態ではあるが、結果的には多くの人が関わるきっかけになり、忙しいながらも炊事場はにぎやかな雰囲気となった。本堂玄関での盛り付け場も同様である。
私見ではあるが、このような結果となったのは朝食・昼食をつくった後の、三食目の夕食であったことが大きい。わずか一日の滞在ではあったが、夕食までの間にある程度の信頼関係を築くことができ、安心して避難所の方や自治労の方に盛り付けのお手伝いを委ねることができた。手前味噌ながら、全体として一体感のある現場を(偶然にも)作り出せたのではないかと思う。
食器の洗浄については避難所の炊事担当の方にお願いした。当初は、炊事に関わるすべて仕事を休んでいただくつもりであったが、食後に「作っていただいているので、せめて食器洗いだけでも」との申し出をいただいたので、朝食時の洗浄は一緒に行い、昼食・夕食時はそのまますべてお任せした。
私見であるが、炊事に関わる方はつくる手間と片付ける手間を熟知している分、炊き出しの一切を任せてしまうのは忍びないといった心情があるのかもしれない。準備が間に合わなくて急遽手伝ってもらうといった事態はよくないが、相互にある程度余裕がある中での仕事の分担であれば、積極的に委ねてもよいのではないか。あくまで信頼関係が成り立った上でのことだが、双方向のやり取りやご縁が生まれる場面は大事に見極めてゆく必要があると思う。
炊き出しについては、避難所内で自炊可能であるなど比較的恵まれた環境である。炊事当番の方にご休憩いただくという点では有効だが、絶対的に欠乏しているわけではない。うかがってみたところ、炊事当番の方の料理は地元の方が食べ慣れた手の込んだ献立が多かった。
今回は事前調査のリクエストに応じた料理を用意したため好評いただけたが、カレーや豚汁などの一般的な炊き出しメニューが喜ばれる段階ではないことも考慮しなければならない。
炊き出しを行って〝支給する〟のではなく、今後は〝一緒に協力して作る〟というような双方向的な関わり方が可能な献立を選んでゆくのもよいのではないか。流しそうめんなどはなかなか楽しいかもしれない(料理長からは屋台&パフォーマンスという案が出ました)。
炊き出し活動というと、料理が得意でないといけない、と考える方がおられるかもしれないが、実際には調理以外にも、炊事場所の設置や現地の方とのやり取り、盛り付け等の簡単な調理補助など、料理が苦手な方でもお手伝いできることが多々ある。運搬や買出しなども含めて、頭数がいることは何かと助かる場面が多い。ご縁があれば、積極的に参加してもらえるとありがたい。
今回の炊き出しは、日程的にも人数的にもギリギリで炊事作業に余裕を持つことができなかったことや、寺子屋ネットなどの諸イベントがあったため、本堂内でゆっくりと茶飲み話などをする機会をほとんど作ることができなかった。この点は反省したい。
また、以上の報告は、あくまで浄念寺という宗教施設を会場とした、やや特殊な事例であることはご承知おきいただきたい。
その恩恵に預かって、我われ僧侶の炊き出しに対して始めからかなり好意的でいてくれたのは間違いなく、その点は少々割り引いて考えねばならない。本堂内の人数の規模も過剰ではなく、炊事場も常時設置されており、住民同士の自治もしっかりと行われていたなかでの活動であった。
「炊き出しは段取りやねん!」からはじまった今回の企画。
事前準備の重要性とともに、現地での臨機応変さの必要性、すなわち「段取りの奥深さ」を逆に痛感することになった。炊き出しはただ作って配るというだけのものではなく、配食するまでの間に、現地のさまざまな方との細かなやり取りが生まれてくる。
そのなかでどの程度まで現地の方と協働できるのかということについても、手探りしながらうかがってゆく必要がある。また、そのようなつながりを否応なく得られる「きっかけ」を潜在していることが炊き出し活動の魅力の一端でもあろう。
今回、炊き出しを受け入れてくださり、我われ自身の学びの機会を与えてくださった浄念寺さまと被災者の皆さま、ありがとうございます。一日も早い復興を心より念願しています。
また、炊き出しのお手伝いをしてくださった自治労の皆さま、浄土宗報恩明照会(カウンセリング、寺子屋)の皆さま、『THE法然』取材の方、さらに出発や準備に関わってくださった多くの方々に感謝申し上げます。