初めて炊き出しに参加させて頂きました。
印象に残った場面があります。
夜から歩き始めて2時間ほど、駅近くのアーケード商店街に着きました。
小雨が降り出す中、おじさんたちは小走りに移動しています。「ここから出るように」との放送が流れていたのです。
そこでじっと座っている方に、おにぎりをお渡ししました。
途方に暮れたように「どこに行けばいいっていうんだ? なあ?」と言われ、私は黙ってうなずくしかありませんでした。
その日に会った方々の様子を思い出します。ぐったりと眠る人、陽気に話しかける人、深々と頭を下げる人…。
これまでのその人の時間を想像します。
かつての日雇い仕事が無くなり、社会構造が変わっていく中で、いま路上での生活があるのだろうか。おじさんたちの顔には「これまで」が刻まれているように感じました。
「どこに行けばいい?」という言葉に、社会の変化と居場所の無さを突きつけられた思いでした。
その結果を担った人たちの「いま」に会うこと、話すこと、すぐに解決が見いだせなくても留まること。おにぎりを配る活動には、そんな厳しさがありました。
寺院へ寄付されたお米に、これまでの日常で意識しなかった「つながり」も感じました。
目の前に見えるものは、ゴザ、リヤカー、アルミ缶の詰まった袋。おじさんたちには、色んなことがあったのだろうと思うけど、そんなことを他人に詮索してほしくもないかもしれません。
正直に言えば、私には何も見なかったことにしたい気持ちが隠れています。
お決まりの議論で逃げればこれ以上考えなくて済むでしょう(例えば、目先の手伝いをしてもダメで社会的な対応が必要だ、とか)。
でも同じ社会にいる自分だって、どこに行けばいいのだろう。そんな問いかけから逃れることは難しくなってしまいました。
下支えを担ったおじさんたちの居場所があやういのは、自分の問題でもあるからです。
そこから目を背けないで留まるために、向き合うエネルギーを充電してから参加させて頂きたいと思います。有難うございました。