《参加させていただいた動機》
今まで私はホームレスの方について、偏見というか私自身の見方がありました。それは、ホームレスの方ご本人に自立する意思があるのかという疑問でした。
実はこの偏見について認識をあらためさせてくれたのが、ひとさじの会の事務局長・吉水師です。
今年の9月、被災地のひとつ仙台での宴席のことでした。吉水師のお話の内容は待つ愛、無償の愛、つまり親の愛でした。
ボランティアをする相手の方に自立を求めてはいけない、翌日に気づかれ自立する方もいれば、1年後に気づかれる方もいる。
それは、その人自身が気づくことであって、私たちはそれを求めてはいけない。今、ボランティアができることに感謝して願うことが大切であるということでした。
相手に何かを求め、求めたことが返ってこなければ相手を恨んでしまいます。
私たちが願うべきは永遠に継続できることで、まさしく親の愛のように見ず知らずの相手に向けることができれば素晴らしいことだと思います。
私も大学生と高校生の子供を持つ親です。自分の子供たちに対する愛情を受け入れているすべての気持ちを、同じように他人に向けるのは大変難しいことです。
しかし、それができたらとても素晴らしいことであります。
《存在を確認し合う仲間の素晴らしさ》
おにぎりを作る作業のなかで、参加者の皆さんが自ら進んで動かれていることに大変驚きました。一人として怠けようとか、楽をしようとしている人がいません。全員が自ら進んで仕事を探し行動をされ、声を掛け合っています。
悲しいことですが「無縁社会」という造語を当たり前のように耳にするなかで、血のつながりは勿論、同じ会社でもない、同じ地域でもない方々が、この会で仲間になり、存在を確認し合っていることは大変素晴らしいことです。
また炊事作業を終えて後、ご本尊に向かってお念仏をみんなでお唱えすると、さらに強い仲間意識が生まれ、配食の出発前にしっかりとした心構えが整いました。
《全く違う浅草を、安心の手のなかで行動しました》
40歳を超えて、それなりの人生経験を積んできたつもりでいましたが、久しぶりに本当に緊張しました。
最初は、諸先輩方のやり方を必死に見習い、真似て、精一杯演じました。本心でなく演じていました。
ご指導いただきました通りに、目の高さを相手に合わせ優しく言葉をかけると、向こうからも声が返ってきます。とても貴重な体験でした。
東京で生まれた私が今まで来ていた浅草とはまるで違う浅草でした。また、初めは真似することに無我夢中で周囲を見る余裕はありませんでしたが、後半はグループのリーダーの方々や諸先輩の方々が見守り、気にかけてくださっているなかで活動が行われていることに気づきました。
それが分かると、緊張のなかでも安心して行えました。
《恩返し ボランティアを受けたのは私自身》
おにぎりや飴を渡しながら、私自身が日々当たり前に過ごしている生活に対しての感謝の足りなさ、不平不満をあらためて自覚させていただきました。
おにぎりを手渡すことは、人に施す行為でありながら、実は行っている私自身が一番の宝をいただいていることに気づいたのです。
このような気づきの機会をいただけましたことに感謝申し上げ、今後は私のご縁がある方々を一人でも多くお誘いし、活動を通じていろいろなことを感じていただくことが今回の最大の恩返しになると思っています。
誠にありがとうございました。