まず初めに、Watts先生と『ひとさじの会』が私一人では知ることのできなかった日本社会の現状を知る機会を与えてくださったことに感謝したいです。
あんなにもたくさんの人が帰る家も無く、路上で寝ているのを実際に見て胸が痛くなりました。
私たちは220個のおにぎりを作り、約200個のおにぎりをホームレスの方に渡したので、浅草だけでも200人の人が帰る家も無いのです。
この数は衝撃的でした。なぜこんなにも多くの人が帰る家も無いのでしょうか?
私が考えた彼らがホームレスである理由は、彼らは学ぶことが面倒で、努力をしなかった人がいるということもあるかもしれませんが、多かれ少なかれ、彼らの体や心の健康状態が良くなかった、不当に会社に解雇された、または家族や友達など、当てにできる先が無いという理由も含まれるでしょう。
更に、問題は、日本の生活保護の制度が存在するのに、それを苦境に迫られた人に提供するのを難しくしているということです。
というのも、私はテレビのドキュメンタリーで、市役所の役員が、生活保護が本当に必要な人が申請をしたいと言っているのにも関わらず、適当な理由をつけて、彼らおの申請を避けるのです。
更にひどいことに、その市役所はその年に市の生活保護扶養者の数を減らした、すなわち雇用状況を改善したとして、賞を頂いたのです。
今回の回想に戻りますが、炊き出しで心を打たれたことは、日本人はやはり謙虚さと忍耐さの一面を持っていることに変わりはないと感じたことです。
ホームレスの一部の方は、自分が扶養を受けるに値しないとし、自ら扶養を受けないとしているということにとても驚きました。
実際に、おにぎりや薬をホームレスの方に手渡ししている際、多くのひとの振る舞いは謙虚に感じられました。おにぎりを渡そうとした際、お腹を減らし、力があまり残っていないような方でさえ、彼は目を丸くし、『いいんですか?』(本当にもらっていいんですか?)と言い、もらえるものはもらう、などといった強欲の心は彼に見受けられませんでした。
おにぎりを路上生活している方に配る。この行為は、ホームレスの方を減らす根本的な解決方法にはなりません。
しかし、他の生徒が言っていたように、このような活動は、彼らのためではなく、路上生活の現状を知らない私たちのために必要なのだという意見に私も賛成しました。
彼らの状況をほんの少しでも改善するために、私は友人にどれだけ多くの路上生活をしているか、そして、私たち彼らが作った建物や製品などを通して私たちは彼らの恩恵を人生のどこかで受けているということを伝えることによって、彼らのことをより多く知ってもらうことが大切だと思いました。
私たちが持っているかもしれない彼らへの偏見をなくし、彼らに対する興味を持ってもらう輪を広げることができたらいいなと思います。
私たちは、ホームレスの方を、私たちとは全く関係の無い人として、切り離してはいけません。私たち人は、同じ人間であり、どこかで繋がっているのです。
支えあう輪を何らかの形で作っていくことができたらいいのにと思いました。そのためにも、彼らの視点から物事を見ることが必要です。
また、新宿などで行われている人さじの会の活動に参加したいです。