今回、初めて参加させていただきました。緊張しながら光照院さんに向かうべく、以前、山友会さんに伺ったときのように南千住の駅から、てくてく。
肌寒い春雨のお天気。私は初めて訪れる場所に行く時は雨が降るタイプなもので、もしかしたら私のせいかも…と申し訳なく思いながら…。
午後3時頃から、みなさんが玄関口にいらっしゃって、「こんにちは~」「前回はどこどこだったね」「久しぶり!もう帰ってきたの?」など、笑顔で言葉を交わしていて、とても温かい雰囲気を感じます。
「さてそろそろ始めましょうか」と吉水さんのひと声で、準備開始。まずは、前回使った道具を洗う係、お寺の向かいにある倉庫にテーブルを並べて準備を始める係と、ひとりひとりが無駄なく作業に向かいます。
お米を洗って炊き始めたら、ちょっとひと息コーヒーブレイク。この間にも次々さまざまな世代の人が到着し、近況報告をしながら輪が広がっていきます。
私も自己紹介をさせていただき、すうっと輪に入れていただいて、おかげさまでリラックスして臨むことができました。
「おまんじゅう」さんというニックネームまで付けていただいて、初日にして仲間入りの気分。内心緊張していたのですが、とてもありがたかったです。
倉庫で始まったおにぎり作り。ほかほかのごはんに、ふりかけ、ゆかりなどを混ぜ込み、かつお節の風味がふわりと香り、シンプルかつ深い味わいのする(味見をするのも楽しみ)ひとさじの会ならではの作り方です。
計量する人々、ふりかけを混ぜる人々、まあるく握る人々、くるんで完成させる人々と、すばらしい流れ作業で、あっという間に6升余りのお米が、まんまるおにぎりになってしまいました。
18時すぎ、夢中で握っていたら雨がぱらぱら。お寺の中で準備していた方含め10数人が集まっていて、今度は、風邪薬、正露丸、頭痛薬、軟膏などを袋につめていきます。
さて雨は、本降りになるか、止むか…うーん今回は雨男に雨女がいますから、降るでしょうねなどとお話し。
どなたとお話していても「このお話の時間がとっても楽しい。みなさん優しいんですよ」とおっしゃるのを実感しました。
また、事前に、吉水さんやリーダーの方々は、各コースの当日の状況を見て把握しています。「さくらの季節は、公園で宴会をする人がいて、夜遅くならないと、おじさんたちはやってこないかもしれない」など、日々変わる現場の状況を知って、人数配分、おにぎりの配分を決めていきます。
続々と、看護師さん、学生さん、ご近所の方などなど、仕事も世代も異なる人が集まってきて、みなでお念仏を唱えたあと、20時に集合場所へ。
経験のある方が各グループにいるので初めてでも安心して参加できます。私は、最近加わったという「上野コース」。吉水さんと、若くてベテランのみのりさんたちとともに、5人でまわりました。
「こんばんは、ひとさじの会です。おにぎりいかがですか?」と声をかけて回ると「ありがとう。いいんですか?」と受け取る方もいれば、無言でうなずき遠慮しながら手を差し出される方、反応は様々ですが、みなさん声かけに応じてくれます。
順調に配ってまわって、駅の敷地内に大きな荷物を抱えている方に話しかけていたとき、駅の警備員さんから
「この線の中は駅の敷地内なんです。こんな荷物を持っている人が、しかも出入り口にいられたら迷惑がかかります。食事をあげるのもいいですが、やるなら最後まで面倒みてくれますか?」
というようなひとこと。
そうできたらいいが、この方だって行けるところがなくて、そうしている…状況を知ってか知らずか、厳しいことばを受けました。
警備員さんの個人的な思いと仕事としての発言か、こちらもそのことばから考えさせられました。
避けて通ろうという意識、路上生活を努力不足の結果ではないかと見る見方など、多くの人の内側にもあるであろう「こころの距離」を見た感じがしました。警備員さんたちのことばは、自らにも問いかける経験となりました。
忘れがたい体験がもうひとつ。壁にもたれて座っていた女性が、吉水さんを見て、「あの・・・お坊さんですか?」と話しかけました。
「私の家族はみんなお坊さん、お寺に関係していました。いまはもう皆亡くなっているけど、きっとあなたに会わせてくれたんだと思います。ご縁ですね。ありがたいです。それにしても、きれいな目ですね~」と合掌されました。
お坊さんの姿に懐かしさを見ておられたのでしょう。やわらかな笑顔でした。おにぎりを配ったことで、参加していた私も、ご縁というものがなんと有り難いものだろうという気持ちになり、その方を温かくつつみこむご先祖の存在を感じて、涙がこぼれました。
「暑さ寒さもなかなかしのげない路上で生活されている方々におにぎりを笑顔とともに届けたい」という、ひとつの想いでつながる「ひとさじの会」。
毎月2回、その日出会った人におにぎりを配れたとして、路上で暮らす人がいる事態の根本的な解決になるのだろうか、という問いもあるかもしれませんが、その日を少しでもほっとして生き続けることができ、その間に社会の仕組みを変えていかなくてはならないのだと思います。
路上で暮らす人々がいることを、個人の資質の問題にするのではなく、社会の仕組み自体に何か欠陥があるからなのではないか、それを引き起こしているのは、自分たちの社会作りに問題があるのではないかと問い直す機会を頂いたのだと思います。
せめて誰もが最低限の生きる権利を保証できる社会でなくては、程度の差こそあれ、生き辛い世の中であることは間違いない。さまざまな問いが、自分の内側に実感とともに湧いてきました。
私たちが生きている社会の仕組みのひずみ、そこにひそむ冷酷さは、私たちひとりひとりが知るべきことと思います。一度でも参加すれば、きっと誰もが感じることがあるはずです。
大変長くなりましたが、温かく迎えてくださったみなさま、ありがとうございました。これからも参加させていただきたいと思いますし、伝えていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。