今回、初めて「ひとさじの会」の活動に参加した。
今までも事前調査も兼ね、会の大まかな活動内容などを出来る範囲で調べてはいたものの、やはり記述の情報と事実の体験の「誤差」を改めて知ることになった。
頭では何がどうこう、こういう活動をして、どんな人達と関わるのだということの「理解」は出来ているものの、実際に夜の浅草―昼間とはまるで様変わりした、閑散とした商店街の路上で過ごすことを余儀なくされている路上生活者の方の姿を見ると、想像していたのとはまるで違うものがそこにはある。
恐怖も嫌悪もなく、ただ自分とは別の地点にいる、全く同じ「ヒト」と関わる。
路上生活者といっても、実際に会い話してみれば、そこらの居酒屋にいるような方と何ら変わらないし、だからこそ此方も安心して(というのは少し違うが)声をかける。
ただ、此方がいくらそのスタンスでいようと、実際に夜の街を歩く人々の目は冷たい―というよりも、最早「見えていない」、そう思えるような様子で素通りしていく。
正直な話、そういった「一般人」に声をかける方が怖い。
どちらをどう見るのも、結局は色眼鏡の問題なのかもしれないが、外見や偏見はどうあれ、やはり夜道をうろつく一般人の方が「近寄りがたい空気」というものの濃度が全く違う。
恐らく自分も普段はそちら側なのだろうが、一旦立場をかえてみてみると、こうも違って感じられるものだというのが、ある意味恐ろしく感じられた。やはり事象は複数の角度から見なければ、その視野が瞬く間に狭まってしまう。
また、上記は感情面からの感想だが、一方で実際の数字としての問題も感じた。
おにぎりを渡す際、かなりの確率で「風邪薬はあるか」と聞かれた(胃薬なども同様)。
元から路上生活の衛生状況はいいとは言えない上に、当日は急な夕立に、連日続く茹だるような暑さ、それが夜になっても冷め切らない、湿り切った温い空気になって立ち込めているという状況―体調が悪くなっている人が多いのも頷ける。
まだ七月下旬でこれ、これから更に暑さの激しくなる八月は、医療設備も衛生環境も整っている人々ですら気を抜けば一瞬で病院送りにされる季節。
夏に限らず冬も真逆で同じことが言えるとは思うが、これからの季節、路上生活者の方々の体調不良が気がかりになった。
暫くは参加できないものの、実際にひとさじの会に参加して、大なり小なり生の体験で得たものがある。
時間と機会さえあれば、また参加できれば、と。